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浦和地方裁判所 平成3年(行ウ)9号 判決

原告

甲野花子

甲野二郎

右両名訴訟代理人弁護士

秋山幹男

河野敬

被告

上尾市長

荒井松司

右訴訟代理人弁護士

長久保武

右指定代理人

矢澤敬幸

外一六名

主文

一  被告が原告甲野花子に対してした昭和六二年一二月二六日付予防接種法一六条に基づく医療費・医療手当不支給処分を取り消す。

二  被告が原告甲野二郎に対してした昭和六二年一二月二六日付予防接種法一六条に基づく障害児養育年金不支給処分を取り消す。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨。

第二  事案の概要

本件は、予防接種法(以下、「法」という。)一六条に基づき、被告に対し、原告甲野花子(以下、「原告花子」という。)が医療費・医療手当の給付を、原告甲野二郎(以下、「原告二郎」という。)が障害児養育年金の給付をそれぞれ請求したところ、被告が原告花子の症状とインフルエンザ予防接種との因果関係が認められないとして、右各請求につきいずれも不支給の決定をしたので、その決定の取消を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  インフルエンザ予防接種の実施

原告花子は、昭和五八年一一月八日及び同月一八日の二度にわたり、当時六年生として在籍していた上尾市立A小学校において、被告の実施したインフルエンザHAワクチン予防接種(以下、「本件予防接種」という。)を受けた。

2  原告花子の発病等

(一) 原告花子は、昭和四六年四月二二日、原告二郎と甲野春子(以下、「春子」という。)の長女として出生した。

(二) 昭和五八年一二月二〇日、原告二郎及び春子は、小学校の先生から原告花子の授業中の態度がおかしいから病院に行くよう勧められたこともあって、同日B病院で同原告に診察を受けさせ、さらに翌二一日に埼玉県立小児医療センター(以下、「小児医療センター」という。)において同原告に診察を受けさせ、同月二三日からは右小児医療センターに検査のための入院をさせた。B病院及び小児医療センターではチック症との診断を受けた。

(三) 原告花子は、昭和五九年二月七日、東京女子医科大学病院小児科(以下、「東京女子医大病院」という。)に転医・入院した。同病院は、異常眼球運動と小脳症状を伴う錐体外路障害と診断した。

(四) 原告花子は、昭和六〇年一月八日、右病院を退院し、同月一一日、精査目的で順天堂大学医学部付属順天堂医院脳神経内科(以下、「順天堂医院」という。)に入院し、同年一二月一三日退院した。同医院では、原告花子の症状につき症候性ジストニアと診断し、検査・治療を行った。

(五) 原告花子は、昭和六〇年一二月一三日から都立神経病院に入院した。

3  行政処分

原告らは本件予防接種により原告花子が重度の心身障害者になったとして、昭和五九年八月一三日付けで、法一六条に基づき、被告に対し、原告花子は医療費・医療手当の給付請求を行い、また、原告二郎は障害児養育年金の給付請求を行ったところ、被告は、昭和六二年一二月二六日付けで、原告らの右各請求につき、原告花子の一連の症状と本件インフルエンザ予防接種との因果関係が認められないとしていずれも不支給の決定をし、同月二八日原告らに対しその旨を通知した。

原告らは、昭和六三年二月二三日、埼玉県知事に対し、右各不支給決定に対する審査請求をしたが、同知事は、平成三年三月二九日、右各請求を棄却する旨の裁決をした。

二  争点

原告花子の本件症状が本件予防接種によって生じたか否かである(因果関係の有無)。

1  原告の主張

(一) 法一六条は、予防接種法に基づいて予防接種を受けた者が疾病にかかり、廃疾となり、又は死亡した場合において、厚生大臣が当該疾病、廃疾又は死亡が当該予防接種を受けたことによるものであると認定したときは、市長村長が、同法一七条、一八条一項に定める給付を行うものと定めているところ、このような救済制度が定められた趣旨・目的は、予防接種による健康被害を受けた者の簡易迅速な救済をはかることにある。すなわち、右救済制度は、「法に基づく予防接種は、公共目的達成のため行われるものであり、この結果健康被害を生ずるに至った被害者に対しては、国家補償的精神に基づき救済を行い社会的公正をはかることが必要と考えられる。したがって、国は法的措置による恒久的救済制度を設けるべきである。」との伝染病予防調査会の答申を受けて、昭和五一年に予防接種法の改正により設けられたものである。そして右答申は右救済制度における因果関係の認定について、予防接種の副反応の態様は予防接種の種類によっても多種多様であり、当該予防接種との因果関係について完全な医学的証明を求めることは事実上不可能な場合があるので、因果関係の判定は、特定の事実が特定の結果を予測し得る蓋然性を証明することによって足りることとするのもやむを得ないとしており、また、予防接種法の右改正法審議において、政府委員(厚生省公衆衛生局長)は、認定の際のいわゆる疑わしいものについては、予防接種とその事故についての蓋然性をもって認定の資料、判断とすることにしており、疑わしいものについても諸般の事情をよく勘案して、できるだけ救済するようにしていきたいと考えていると答弁し、同制度の因果関係認定における証明の程度及び運用の方針を明らかにしている(右伝染病予防調査会の答申内容及び右政府委員の答弁内容は、いずれも争いがない。)。このように同制度において厳密な因果関係を要求しない運用がなされているのは、予防接種は、人体に免疫源となるワクチンを注入し、免疫を付与するものであるが、ワクチンは人体にとって異物であり、副反応として重篤な後遺症を惹起することがあり得るところ、その副反応の発生機序はいまだ医学的に十分解明されておらず、予防接種とその後に発生した疾病との因果関係を厳密に特定し明らかにすることが困難なためである。

以上のように、本件救済制度は伝染病の蔓延防止という公益目的のために強制的に行われる予防接種によって不可避的に発生する被害を簡易迅速に救済しようとするものであり、予防接種による副反応発生の機序はいまだ解明されておらず因果関係の医学的証明には困難があることなどに基づけば、予防接種法による予防接種健康被害救済制度の給付を行うか否かの判定、すなわち、因果関係の判定に当たっては、一般の損害賠償請求訴訟等の場合におけるような高度の蓋然性は必要ではなく、一応の蓋然性が証明されれば足り、因果関係について疑いがある場合であっても、「疑わしきは救済する」との原則を適用し、救済制度の給付の対象とすべきである。

そこで、少なくとも、次の三基準に該当する場合は、厚生大臣は法一六条の因果関係の認定を行うべきである。

(1) 当該症状が当該ワクチンの副反応として起こりうることについて医学的合理性があること(第一基準)

(2) 当該症状が当該ワクチンの接種から一定の合理的時期に発症していること(第二基準)

(3) 他の原因が想定される場合に、その可能性との比較考量を行い、ワクチン接種によると考えるよりも他の原因によるものと考える方が合理的である場合でないこと(第三基準)

(二) 本件における因果関係

(1) 原告花子の発病の経緯等

原告花子は乳幼児期も順調に成長し、小学校入学後は本件事故の発生まで毎年校内の運動会においてクラスのリレーの選手として選ばれ、また昭和五八年一〇月二五日に行われた上尾市内小学校連合運動会では、女子走り高飛びで二位に入賞した。

同年一一月下旬ころ、原告花子に食事の際に両目をかっと見開くようになる、寝起きが悪くなる、表情が乏しくなる、前傾姿勢をとり右下肢を外側に回すようにして歩くようになり、しばしばつまづくなどの症状が現れるようになった。

同年一二月二三日に小児医療センターに入院したころから、同原告の症状は急速に悪化し、歩行不能となり、言語障害が生じた。この間に体重は四二キログラムから三三キログラムに減少した。

昭和五九年二月七日に東京女子医大病院に入院後も症状の改善は見られず、会話が全く不能となり、発作的に体全体を突っ張るような症状も現れた。

現在原告花子は上肢下肢の機能障害により寝たきりの状態で、日常生活について全面介護を必要とし、言語も全くしゃべれない状態であり、このような症状は、昭和五九年八月ころまでに完成し、その後症状に変化はない。

原告花子は、その後、平成元年一〇月一一日から同月二五日まで、及び平成五年七月一二日から同月一四日まで、いずれも順天堂医院に入院して、検査を受けた。

(2) 第一基準該当性について

前記一2及び右(1)のような原告花子の発症の経過及び症状によれば、同原告には、インフルエンザワクチンによって大脳基底核及びその周辺にアデム(急性播種性脳脊髄炎或いは急性散在性脳脊髄炎)と同様の遅延型アレルギー反応が起きて脱髄病変が生じ、そのために錐体外路症状を伴うジストニア症状が生じたものと推定できる。すなわち、

① 予防接種が遅延型アレルギー反応として脱髄性疾患を引き起こし得ることは広く知られており、その典型的なものがアデムであり、狂犬病ワクチンや種痘の外、インフルエンザワクチンによっても発症する。また、インフルエンザワクチンによる脱髄性疾患として多発性神経炎(ギランバレー症候群)がある。

次に脳炎の後遺症として症候性ジストニアが発症することがあり得るのであり、麻疹ワクチン接種後に大脳基底核の病変によるパーキンソン症候群(錐体外路症状)が発症した症例があり、右症状は、原告花子の症状に類似している。

そして、インフルエンザ感染後にパーキンソン症候群が発症することがあり得るのであり、これはインフルエンザウイルスが大脳基底核に病変を起こすことを示すものであるところ、インフルエンザウイルスとインフルエンザワクチンの化学物質は同一である。したがって、このような事実も、原告花子の症候性ジストニアがインフルエンザワクチンによる可能性を示唆するものである。

② 原告花子が治療を受けた前記各医療機関における診断及び検査結果も、以下のとおり同原告の症状が前記のようにインフルエンザワクチンによって発症した錐体外路症状を伴うジストニア症状であるとし、或いはこれを裏付けるものである。

順天堂医院における第一及び第二回入院の際の臨床診断は症候性ジストニアであった。そして、錐体外路症状を伴うジストニアが発症したということは大脳の基底核部分或いはその周辺に病変が生じたと考えることができ、髄液検査で軽度の細胞増多現象(三分の九ないし三分の二四)が見られたことはこれを裏付けるものである。

また、東京女子医大病院に入院中の検査で髄液中に抗ミエリン抗体の上昇が検出されたが、これは中枢神経の髄鞘が破壊されていわゆる脱髄疾患が生じ、脳内の脱髄病変が生じていることを示すものである。

さらに、順天堂医院の今井壽正助教授は、従来の検査結果に平成五年七月の第三回入院時の検査結果及びそれまでの経過を加えて検討した結果、原告花子の症状を錐体外路症状を伴うジストニアと診断することは誤りではないが、ワクチン接種後のアデムないし脳炎で、経過は単相性かつ重篤な後遺症を残した症例と臨床診断することに何の矛盾もないと判断している。

白木博次博士は、原告花子を診察したうえで、種痘によってアデムの生じた患者の解剖例で大脳基底核の淡蒼球に脱髄病変が認められた場合に、同時に大脳の他の部分にも脱髄が生じていること、原告花子の症状の特徴である眼球運動の異常と姿勢の異常からその責任病巣を大脳基底核のみに断定できないことなどから、原告花子の場合、小さな病巣が大脳に散在しているアデムであると考えるべきであると診断している。

東京女子医大病院の森本武彦医師及び福山幸夫教授らは、原告花子の症状はパリダル・ポスチュア及び眼球運動障害を呈し急速に進行する中枢神経疾患であり、その原因はインフルエンザ予防接種後脳障害しか考えられないとしているところ、パリダル・パスチュアとは淡蒼球姿勢という意味であり、大脳基底核の淡蒼球の病変による症状をいうものであって、順天堂医院のジストニアの診断と同様である。そして、右森本医師は、ワクチン後の神経症状は、脳炎、アデム、ギランバレーの形をとることが多く、錐体外路症状が全面に出ることは稀であるが、アデムでも病巣の位置によっては原告花子のような症状が出ることがあり得ると述べ、原告花子の場合がアデムである可能性を肯定している。

③ 被告は、原告花子に発熱や痙攣、意識障害がなかったから、予防接種による脳炎・脳症ではないと主張するが、脳に病理変化が生じても必ず発熱や痙攣、意識障害が起こるものでないことは脳神経学の常識である。すなわち、全身性の脳炎でなければ発熱は起こらず、意識の中枢ないし脳全体の病理変化がなければ意識障害は起こらない。

(3) 第二基準該当性について

種痘後脳炎、アデム等のワクチンによる遅延型アレルギー型の副反応の潜伏期は、一般に数日から数週間とされている。すなわち、接種から発症までの期間は、種痘後脳炎では二ないし二五日、アデムでは二ないし二五日であるとか、四ないし三〇日であるとか、或いは数日から数週間とされ、インフルエンザワクチンによるアデムについては、一七日と一九日の二症例が報告され、厚生大臣がインフルエンザワクチンによるアデムと認定したケースでは約二週間であった。

原告花子の症状は、前記のようにアデムと同様の遅延型アレルギーが起きたことによる脱髄性疾患と考えられるところ、本件予防接種から約二週間後の昭和五八年一一月下旬から発症しており、ワクチンによるアデム等の遅延型アレルギーの典型的な潜伏期に合致する。すなわち、原告花子の症状がワクチン接種によるものであることを強く推認させる極めて合理的な時期に発症しているものである。

(4) 第三基準該当性について

① 東京女子医大病院では、ハンチングトン症、若年パーキンソン症候群、脳幹腫瘍等、さらに珍しい変性疾患であるオリーブ橋小脳変性、進行性核上性麻痺、レンズ核黒質変性、線状核黒質変性等を鑑別診断の対象とし、これらを否定した。

そして、同病院は、原告花子が発病の二週間前にインフルエンザのワクチン接種を受けていたこと、他の中枢神経系の変性疾患では説明できない二か月にわたる急速な症状の悪化があったこと、髄液中に細胞数がわずかに増加しており、髄液と血清の抗ミエリン抗体の測定濃度が上昇していることから、同原告の症状は、インフルエンザ予防接種後脳症以外は考えられない症例であるとしている。

② 順天堂医院では、第一回の入院の際にウイルソン病を肝生検により否定したほか、ハーラーボーデンスパッツ病、若年性神経性セロイド・リポフスチン症、ジストニア ウィズニューラル デフネス(Dystnia with neural deafness)、脳炎後パーキンソン症候群など考えられるあらゆる疾患を鑑別対象とし、これらを全て否定した。

そして、右入院の際の主治医であった石垣泰則医師は、インフルエンザ予防接種後約二週間後に発症し、同時期の小児医療センターでの髄液検査で細胞増多現象を認めた点で、右予防接種が脳症の原因となった可能性が高いと考えられると結論している。

右病院への第二回入院の際には、水野教授以下の医師団によって同様の鑑別診断がなされ、インフルエンザワクチン接種以外の疾病は否定されている。そして、右医師団はその協議において、インフルエンザワクチンを契機としたものが最も考えられ、ワクチン接種後の脳症と考えたいと結論し、右第二回入院の際の主治医のチームリーダーであった大熊泰之医師は、原告花子についてインフルエンザ予防接種を原因とする症候性ジストニアであるとの診断書を作成している。

同病院への第三回の入院の際に原告花子を検査、診察した今井壽正助教授は、同大学での三回にわたる入院検査結果を総合し、二回にわたるインフルエンザの予防接種から発症に至る特異な経過は、まさに「突然、人が変ってしまった」と周囲に感じさせるに十分であって、ワクチン接種後のアデムないし脳炎で、経過は単相性かつ重篤な後遺症を残した症例と臨床診断するにつき何らの矛盾もなく、非定型かつ多彩なシンプトム コンプレックス(symptom complex)自体もこれを指示するものであり、アデムに特異的な検査法はないが、初期の髄液中の細胞増多や免疫グロブリンG指数(IgG index)の上昇はアデムないし脳炎を示唆するに十分であると判断している。

③ 白木博次博士は、東京女子医大病院及び順天堂医院での入院検査及び原告花子を直接診察した結果をもとに、これにいわゆる白木四原則をあてはめ、ワクチン接種と症状の発症とが時間的、場所的に密接していること(第一原則)、他に原因となるものが考えられないこと(第二原則)、副反応と後遺症(折れ曲がり)が質量的に強烈であること(第三原則)、事故発生のメカニズムが実験・病理・臨床などの観点からみて、科学的・学問的に実証性や妥当性があること(第四原則)から、原告花子の症状がインフルエンザワクチンによるものである蓋然性が極めて高いと結論している。

④ ところで、被告は、原告花子の疾病は特発性ジストニアであると主張するけれども、特発性ジストニアとは、骨格筋の緩除、持続性、捻転性の収縮を指し、これによる持続性の姿勢異常(ジストニア姿位)及び異常運動(ジストニア運動)が主症状となり、これらは姿勢保持、随意運動時に増強し、安静時には軽快、消失するものであり、また、特発性ジストニアの特徴的な姿勢として、頭全体の著しい背屈或いは後屈を呈する場合があり、九〇度或いはそれ以上の頭部の前後屈は特発性ジストニアに特徴的な姿勢ということができ、この場合は必ず躯幹の前・後彎を伴い上肢は伸展・回内位をとり、その全体像の特徴としては、奇妙な前後屈、捻転姿勢であるが平衡障害を伴わず、それなりに安定した立位を保ち歩行し、経過は長く、長期間のうちには固定した姿勢となり、爪先歩行、支持歩行となり、臥位でも姿勢異常が残るようになるとされ、さらに、随意運動時にジストニアが生じるアクションジストニア(action dystonia)においても、目的動作は完成できることが特徴であり、ボール投げが上手にできる例、自動車やバイクを運転する例、短距離のピストル射撃が正確にできた例などが報告されているところ、原告花子においては、安静時に筋緊張の異常があり、平衡障害が認められ、安定した立位、歩行は不可能であり、目的動作の完成もできない。

また、特発性ジストニアにおいては、ジストニアと呼ばれる姿勢の異常と不随意運動が唯一の神経症状であり、筋萎縮、筋力低下、痙性、運動失調、反射異常、眼球運動異常、網膜異常、痴呆、痙攣などは合併せず、出生以来ジストニアの発症に前駆するいかなる病態も見出されず、特発性ジストニアは通常いつのまにか発症し、比較的ゆっくりと進行するもので、ジストニアの突然の発症と病態の急激な進行は症候性を考慮する手掛かりとなるとされるところ、原告花子の症状においては、痙性ないし除脳姿勢(上肢屈曲、下肢伸展姿勢)、反射異常、異常眼球運動、姿勢反射の喪失が認められ、また、発症についても、感冒様症状と結膜炎を前駆症状として突然に発症し、急激に進行しており、逆に特発性ジストニアにおいて姿勢保持、運動に際して必発とされている振戦の症状が原告花子には存在していない。

(5) 以上のとおり、原告花子の症状は、前記三基準を充たすものであり、東京女子医大、順天堂大学というわが国有数の専門的医療機関が医学的な見地から原告花子の症状はインフルエンザワクチンによるものと結論付けており、また、白木博士が、いわゆる白木四原則に基づき高度の蓋然性をもってインフルエンザワクチンによると判定しているのであり、厚生大臣の因果関係不認定が違法であることは疑いを入れる余地がない。

2  被告の主張

(一) 本件救済制度における因果関係

本件救済制度における因果関係の認定は、「特定の事実が特定の結果を予測しうる蓋然性を証明することによって足りるとすることもやむをえない」(昭和五一年伝染病予防調査会答申)という基本的考え方に基づいて運用されている。しかしながら、右にいう蓋然性は、ワクチン接種と疾病との因果関係を肯定しうる単なる「可能性」があれば足りるとする意味ではなく、医学上の一般的知見や経験則に照らしてワクチン接種と当該疾病発症との間に相当な因果関係が肯定される程度の蓋然性を求めるものである。

法一六条によれば、因果関係の有無は厚生大臣が公衆衛生審議会の意見を聞いて認定するものとされるから、公衆衛生審議会の因果関係認定の基準が厚生大臣の因果関係認定に当たっての判断基準となる。公衆衛生審議会は、①当該症状が当該ワクチンの副反応として起こりうることについて医学的合理性があるかどうか、②当該症状がワクチン接種から一定の時期に発症しているかどうか、③他の原因が想定される場合には、その可能性との考慮を行うこと、の三つの観点に立ち、実際に得られた検査所見と臨床経過を当該ワクチンの種類と考え合わせながら、右要件が充足されているか否かを審査するという手法によって、因果関係の有無を審査している。

(二) 原告花子の症状と本件予防接種との因果関係についての判断も右(一)の手法に従ってなされており、そこには、医学専門家の常識ないし支配的見解に反するところも、原告花子を特に不利益に取り扱っているところも認められず、原告花子の症状は、公衆衛生審議会委員の全員一致により当時の支配的見解からみて右の各要件を充たしていないと判断されたものであり、その理由は以下のとおりである。

(1) 予防接種後脳炎、脳症は、一般に急性脳炎、急性脳症を指すのであって、突然発熱し、激しい症状を呈することに始まる。発熱は一部の脳症を除き殆どの症例にみられ、三九度以上の発熱が数日間続き、神経症状として、意識障害、痙攣は必発である。意識障害は、嗜眠、昏睡など一般的に重篤でかつ持続時間が長い。痙攣の持続時間も長く、頻回に反復する傾向があり、鎮静剤に抵抗性で痙攣重積状態を呈するのが一般的である。それ故、これらの発熱、意識障害、痙攣の症状を伴わないものを脳炎、脳症と診断することはない。

ところが、原告花子の症状経過の始めにおいて発熱、痙攣、意識障害の症状はなく、また、発症後一年近くの間にその症状が進行した等の経過からすると、原告花子の症状は脳炎、脳症ではなかったことは明らかである。

(2) 髄液検査による細胞数の正常値は三分の一五以下であるから、昭和五八年一一月下旬の発症から約一か月が経過した時点である同年一二月下旬において、小児医療センターで実施された原告花子の髄液検査による細胞数三分の九は全く正常な値である。原告らは、昭和五九年二月における髄液検査による細胞数三分の九ないし三分の二四をとらえて、髄液検査による細胞数の軽度上昇があり、それが脳炎、脳症の生じていることの根拠であると主張する。しかし、右主張によれば、本件予防接種から三か月余り、発症から二か月以上経過した後になって脳炎、脳症が原告花子に生じたことになるが、このような時期に予防接種による副反応として脳炎、脳症が発症することは、遅延型アレルギー反応による副反応であると仮定し、その潜伏期を想定してみても、説明できるものではない。

また、脳症の髄液検査では、液圧上昇のほか病的所見のないことが特徴であり、軽度の細胞増加(三分の七二)をみたとの報告例もあるが例外的であり本質的意義はないとされていることからすれば、髄液細胞数の軽度増加から原告花子の症状が脳症状であると根拠づけることはできない。

(3) 髄液、血清中の抗ミエリン抗体の存在又は抗ミエリン抗体価の上昇は、脱髄疾患の存在を必ずしも意味するものではない。

すなわち、抗ミエリン抗体は自己抗体の一種であるが、自己抗体は常に人体に有害であって脱髄疾患等の自己免疫疾患の原因に必ずなるということはない。また、原告花子にジストニア症状が出現しており、中枢神経組織に何らかの障害が存在していることはほぼ確実であるから、それが特発性ジストニアにより中枢神経組織が障害された結果であるとしても、抗ミエリン抗体が出現すること自体と矛盾しないし、何らかの神経症状が存在し、脳に何らかの障害が存在することが疑われる患者において、患者の体内に抗ミエリン抗体以外の原因による障害の結果として、患者の体内の抗ミエリン抗体が作られることは十分に考えられる。さらに、抗ミエリン抗体のような脊髄抗原に対する血清抗体は、時には脳脊髄炎の発症を抑制する作用を示すのである。したがって、抗ミエリン抗体が存在するという理由だけで、本件予防接種により脳脊髄炎が発症したとの主張は、医学的観点からは、理論的にも、症状の経過上も全く肯認できないものである。なお、抗ミエリン抗体価の検査は、そもそも脳症の本質的検査方法ではない。

(4) インフルエンザワクチンによりアレルギー性の脳脊髄炎が生じるとの仮説は、現時点においていまだ実証されていない。

昭和二〇年ころに我が国で用いられていた古いタイプの狂犬病ワクチンについては、アレルギー性脳脊髄炎が生じ得ることが知られている。しかし、その原因は、右狂犬病ワクチンに動物の脳組織が含まれているためである。しかも一回だけの接種によってアレルギー性脳脊髄炎を生じることはなく、フロイトの完全アジュバントのような特殊な添加物を加えるか又は短期間に極めて頻回の接種を行ってはじめて発症するのである。これに対し、現在我が国で用いられている、組織培養によって作られ、動物の脳組織を全く含まない新しいタイプの狂犬病ワクチンでは、アレルギー性脳脊髄炎は生じていない。そして、インフルエンザワクチンは、動物の脳組織を用いて作られるものではなく、鶏卵を用いて作られるものであるから、卵アレルギーのおそれは考えられても、アレルギー性脳脊髄炎のおそれは全くない。

また、脳脊髄炎を生じるアレルギー反応としては、細胞性免疫によるアレルギー反応が考えられており、抗体の存在は脳脊髄炎の発症と関係がない。

原告花子についてはアレルギー反応が生じたことを示す所見が存在せず、また、東京女子医大病院において、アレルギー反応による疾病に対して有効な治療法である血漿交換療法や大量のステロイドを用いたパルス療法を行ったにもかかわらず、何らの治療効果も現れていない。

(5) インフルエンザワクチンは、病原体をホルマリン処理することにより不活性化したものであるから、病原体自体による副反応が起きることはなく、起きるとすれば、不活性化された病原体自体に残っている、或いは、その成分に残っている毒性による副反応であると考えられる。そして、その副反応は、その原因物質と考えられる毒性物質やアレルゲンが体内に存在する間においてのみ発現するものであるから、不活性化ワクチンであるインフルエンザワクチンにより副反応が発現するとするならば、原因物質が被接種者の身体から排泄され、または無毒化されるまでの時間内に限られ、通常接種直後から二四時間以内、遅くとも四八時間以内に副反応が発現する筈である。

原告らは、原告花子の症状は、本件予防接種後二週間余り経過して発症したと主張するのであり、そうであるとすると、右症状はワクチン接種後副反応の一般的潜伏期を大幅に超えるものであって、本件予防接種によるものということはできない。

(6) 原告花子の症状について、大脳の基底核部分或いはその付近に病巣が生じており、脳内に脱髄病変が存在するとしても、その症状は特発性ジストニアとしても十分に医学的な説明が可能であり、アデムと推論する根拠とはなりえない。

① 特発性ジストニアは、大脳基底核に主病変があると予想され、持続性の姿勢異常(ジストニア姿位)と異常運動(ジストニア運動)を主症状とする疾患であり、その原因は不明であるが、遺伝性の疾患と考えられている。遺伝性の疾患ではあるが、孤発例(親族に患者がいない症例)も存在する。ただし、この場合でも書痙、振戦、チック等のミラー シンプトムズ(mirror symptoms、通常は患者自身も気がついていないような微細な症状)のみを有する不全型が存在する。特発性ジストニアの発症年齢は小児期より思春期にかけてであるが、多くは五歳から一五歳の間に発症する。ジストニア症状が出現する以前に異常神経所見は見られず、また、ジストニア症状による運動機能の障害にもかかわらず、患者の知能は正常である。しかし、感情の問題がしばしば出現し、これにより症状が変化するため、発症初期にはヒステリー(神経症の一種)と診断されることもある。初期の数週ないし数か月は急速に進行することもあるが、その後の進行は緩徐で、多くは一定期間後に症状が固定して定常状態になる。全体として経過は長く、合併症による死亡は症候性ジストニアに比べて著しく少ない。特発性ジストニアは何ら誘因なく緩徐に発症することが多く、外傷や感染症を契機に発症する場合においても、その外傷等は原因ではなく、患者自身も気づいていない症状が外傷等を契機に顕在化するにすぎない。臨床症状は、通常一側下肢の筋固縮による歩行障害から始まり、徐々に同側下肢全体、ついて他側下肢、上肢、頸部、顔面へと広がる。症候性ジストニアでしばしば見られる躯幹や四肢のゆっくりした大きな移動を生じるジストニア運動(不随意運動)は見られない。

② 原告花子の症状及びその経過において、発症時年齢が一二歳であり、特発性ジストニアの好発発症年齢と合致すること、本件予防接種以前にかなりの回数のインフルエンザ予防接種の経験があるにもかかわらず、異常はみられなかったこと、発症日を具体的に特定することが困難であり、昭和五八年一一月下旬ころとしか言えないこと、発症当初の昭和五八年一一月下旬に見られた症状は、前傾姿勢をとり、右下肢を外側に回すようにして歩くようになりしばしばつまづくというものであり、特発性ジストニアの初期に見られる一側下肢の筋固縮による歩行障害と判断されること、発症後二か月ないし一年程度の期間は症状が亜急性に進行したが、その後は症状がほぼ固定していること、叔母に振戦、母に書痙を思わせる症状があり、親族内に不全型特発性ジストニアの患者が存在していると判断されること、発症初期に診断に当たった小児医療センターにおいて「神経症」と診断されており、特発性ジストニアにおける感情の問題からヒステリーないしは神経症と誤って診断されたと推測されること、ジストニアによる運動障害が著明で、現在では、ほとんど寝たきり状態であるにもかかわらず、理解などの知能がよく保たれていること、発症初期に診断に当たったB医院及び小児医療センターにおいて「チック症」との診断がされていること等の事実は、原告花子の症状が特発性ジストニアであることを強く示唆するものである。

(7) 以上のとおり、原告花子の症状は特発性ジストニアであって、症候性ジストニアではないと考えるのが合理的であり、また、アデムと考える理由はないから、原告花子の症状がインフルエンザワクチンの副反応として起こりうる医学的合理性はない。同症状は、ワクチン接種によると考えるよりも他の原因、すなわち特発性ジストニアによるものと考える方が合理的である。さらに、インフルエンザワクチンによる副反応の発症時期については、ワクチン接種から通常四八時間以内、個人差等の事情を最大限に勘案しても三ないし四日以内が合理的期間と考えられているのであるから、原告花子の症状がワクチン接種から一定の合理的時期に発症していないことも明らかである。

第三  争点に対する判断

一  因果関係の判定基準

1  一般に、訴訟上の因果関係の証明は、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度は通常人が疑いを挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものと解されている。

しかしながら、個々の法制度がその立法目的等から因果関係についての立証の程度を緩和している場合には、その制度の趣旨、目的に適合するように因果関係を肯定する要件を緩和して解釈すべきものである。

2  予防接種は、疾病の発生とその蔓延を予防するため、伝染の虞れのある一定の疾病に対して免疫の効果を得させるべく、免疫原を人体に注射あるいは接種するものであるが(法一、二条)、証拠(証人白木博次及び同前川喜平の各証言)並びに弁論の全趣旨によれば、ワクチンは人体にとって異物であり、副反応として重篤な後遺症を惹起することが知られているにもかかわらず、その副反応の発生機序はいまだ医学的に十分解明されておらず、予防接種とその後に発生した疾病との因果関係を厳密に特定し明らかにすることは困難であると認められる。

3  本件救済制度を制定する契機となった伝染病予防調査会の答申が、「法に基づく予防接種は、公共目的達成のため行われるものであり、この結果健康被害を生ずるに至った被害者に対しては、国家補償的精神に基づき救済を行い社会的公正をはかることが必要と考えられる。したがって、国は法的措置による恒久的救済制度を設けるべきである。」との内容であり、また右答申が同制度における因果関係の認定について、予防接種の副反応の態様は予防接種の種類によっても多種多様であり、当該予防接種との因果関係について完全な医学的証明を求めることは事実上不可能な場合があるので、因果関係の判定は、特定の事実が特定の結果を予測し得る蓋然性を証明することによって足りることとするのもやむを得ないとしており、そして、社会労働委員会における審議において、政府委員(厚生省公衆衛生局長)が認定の際のいわゆる疑わしいものについては、予防接種とその事故についての蓋然性をもって認定の資料、判断とすることにしており、疑わしいものについても、できるだけ諸般の事情をよく見ながら認定をしてまいりたい、疑わしいものについても諸般の事情をよく勘案して、できるだけ救済するようにしていきたいと考えていると答弁したことは、いずれも争いがないところ、証拠(証人前川喜平の証言)によれば、実際にも右答弁に添った運用がなされていることが認められるが、因果関係の認定に関する右答申の内容及び実際の運用は、前記のように予防接種とその副反応との発生機序が医学的に十分解明されていない状況を考慮したもので、且つこれに適合したものと解することができる。

4  そこで、本件救済制度は伝染病の蔓延防止という公益目的のために強制的に行われる予防接種によって不可避的に発生する被害を簡易迅速に救済しようとするものであり、他方予防接種による副反応発生の機序は医学的にいまだ十分解明されておらず、そのため因果関係の医学的証明には困難が生ずることがあり得、右救済制度の制定及びその後の同制度の運用においても、因果関係の認定に当たっては右の点が考慮されていることを勘案すると、本件救済制度における因果関係の判定に当たっては、蓋然性が証明されれば足り、次の三基準に該当する場合は、厚生大臣は法一六条の因果関係を認定すべきものと解するのが相当である。

(1)  当該症状が当該ワクチンの副反応として起こりうることについて医学的合理性があること(第一基準)

(2)  当該症状が当該ワクチンの接種から一定の合理的時期に発症していること(第二基準)

(3)  他の原因が想定される場合に、その可能性との比較考量を行い、ワクチン接種によると考えるよりも他の原因によるものと考える方が合理的である場合でないこと(第三基準)

二  原告花子の従前の状況、本件発症の状況、その後の症状は、前記争いのない事実並びに証拠(〈書証番号略〉、証人甲野春子、同石垣泰則、同白木博次の各証言)によって認められる事実を合わせると、次のとおりである。

1  原告花子は、出生時も正常で、小学校入学後も毎年運動会でリレーの選手になるなど健康であり、昭和五八年九月当時の身長は154.1センチメートル、体重は40.5キログラムで、同年四月から一一月まで学校を欠席したことはなく、同年一〇月二五日の上尾市内小学校連合運動会において走り高飛びで二位に入賞した。

2  同原告は、昭和五八年一一月八日に本件第一回予防接種を受けた後に感冒様症状が出現したが、熱発しなかったので同月一八日に本件第二回予防接種を受けたところ、同月下旬ころ、顔色が悪くなり、朝の寝起きが悪くなる、食事もあまりとりたがらない、足が思うように動かず、小走りになるような感じになる、結膜炎をすぐおこすようになるなどの症状が生じ、同年一二月初めからふらつきが生じ、学校で席を立たなくなり、同月一四日に学校で足がもつれて階段から落ち、家庭では、父親である原告二郎が、原告花子がラーメンを食べるときに大きく目を見開き、物を見にくそうにするのに気付いた。同月一七ないし一八日ころ、原告花子は歩行時に右足が尖足位になって外側に廻して歩くようになり、その頃焦点が定まらない目つきをすることがあり、首を左へ振り、自分で止めようと思っても止まらなくなった。同月中旬ころ自分でまつげを全部抜き、痛みは感じなかった。しかし意識は清明であった。

原告花子の母親春子は、同年一二月二〇日に小学校の先生から、同原告が余り動かなくなり、立つときは友達が手をかしたりするなど授業中の態度がおかしいので病院で診察を受けるように勧められた。その頃同原告には、チック様に左方向に頭を回旋する動きが見られた。

3  そこで、原告二郎及び春子は、同日原告花子にB医院で診察を受けさせたところ、原告花子は、歩き方が斜めに傾いていておかしい、つるような歩き方をする、首を傾けるという状態であった。しかし、アキレス腱反射及び膝蓋腱反射はいずれも正常であった。B医院における診断は、チック症であった。

4  原告花子は、小児医療センターに翌二三日から同年一二月二八日まで入院し、さらにその後昭和五九年二月一日まで通院して検査と経過観察を受けたところ、眼球運動は特に右方に向け頭を動かさずに目を動かすことが難しく、頭を押さえないと極端に首を回して物を見て、片足立ちは殆どできず、膝が他の側に広がる状態であり、昭和五八年一二月二九日ころから手をかさないと歩けないようになった。同月三〇日に食物を口に正確にもっていくことができなくなった。字や画は少し書きづらいと訴えていたが、ほぼ普通に書けていた。昭和五九年一月四日に複視(diplopia)を訴え、同月一五日ころ四つ這いでも転ぶようになり、怪我をするようになってきた。同月二〇日ころから物事にあきやすくなり、考えることをしなくなった。同月二五日ころ、おかしいこともないのに笑うことが多くなり、食事を余りしなくなり、体重も三三キログラム位に減少した。しかし、脳脊髄液、CT、変換運動、手足の感覚の各検査結果はいずれも正常であり、瞳孔、眼底に異常はなく、知覚、深部知覚にも問題なく、筋萎縮はなく、小脳症状もなかった。なお、左右膝蓋腱、アキレス腱両反射に軽度亢進があり、脳波にスパイク波があったが常に起きている訳ではなく、要するに脳波に異常波はなく、髄液細胞数は三分の九であり、結局種々の検査結果には特に異常所見はなかった。そこで、小児医療センターにおける診断は、脊髄神経の障害が疑われ、神経症とチック症として経過を見たいというものであった。

5  原告花子は、昭和五九年二月七日から昭和六〇年一月八日まで東京女子医大病院に入院したところ、その間の同原告の姿勢は、頭が垂れ、体幹が屈曲しており、不随意運動として、頭を左右に振る症状があり、昭和五九年八月ころから寝たきりの状態になり、この頃同原告の症状は完成したものと推測される。また、偏視があり、顔と眼球の共調が弱く、両手の変換運動の検査結果は相当強度に陽性(++)であり、指鼻試験の結果も陽性(+)であった。そして、血中、髄液中の抗ミエリン抗体は弱陽性であり髄液細胞数は三分の九ないし二四であって、軽度増加していた。免疫グロブリンG指数(IgG Index)は1.2で、中枢神経系の破壊性病変を示唆し、聴性脳幹反応は、右側が無反応、左側はIV波とV波が低振幅であった。しかし、バギンスキー反射、チャドック反射、オームルス反射はいずれもなく、眼球機能、筋力、筋緊張、触感はいずれも正常であった。なお、インフルエンザに関する血清抗体価は、昭和五九年二月一五日は五一二、同月二〇日は五一二、同月二八日は一〇二四、同年六月四日は二五六であり、右検査結果によれば、原告花子は同年二月以前の比較的近い時点でインフルエンザに感染したものと認められるが、右各症状は右インフルエンザによるものではない。

同病院においては、脳幹部腫瘍、多発性硬化症、ウィルソン病、ハンチングトン症、若年パーキンソン症候群、さらに変性疾患であるオリーブ橋小脳変性、進行性核上性麻痺、レンズ核黒質変性などを鑑別診断の対象としたが、右のような症状及び各種の検査結果から、これらはいずれも否定し、原告花子の疾患は、異常眼球運動と小脳症状を伴う錐体外路障害と診断した。

6  原告花子は、昭和六〇年一月一一日から同年一二月一三日まで順天堂医院に入院したところ、右耳は高度難聴、左耳は六〇デシベル位の聴力レベルを推測できた。同病院においては、ウイルソン病を疑ったが、Dーペニシラミンの投与後尿中銅排泄が範囲を超えていた以外には腹腔鏡による肝生検施行の結果によってもウイルソン病としての肝硬変の所見を欠き、その他種々の検査結果によりウイルソン病は否定された。入院時のCTでは皮質萎縮の進行を認めたが、入院後はCT上の萎縮は認められず、痴呆はなく、了解は十分可能である、しかし淡蒼球に点状低吸収域が認められ、アーテン及びセルシンの大量投与でジストニアは改善傾向にあったが、四肢・体幹にジストニアが強く、能動的運動は殆ど不可能であった。同病院における最終的な診断は、症候性ジストニアであった。

7  原告花子は、昭和六〇年一二月一三日から昭和六一年五月二六日まで東京都立神経病院に入院した。

同病院における診断においては、同原告はインフルエンザ予防接種後に行動異常で発症し、亜急性に症状が進行し寝たきりとなった原因不明のジストニア患者である。同病院においては、特発性捻転ジストニア(DMD)、ハーラーボーデンスパッツ病等が疑われるが、失声症、錐体路(pyramidal tract sign)を認め、ジストニアによる運動障害が著名な割に理解などの知能はよく保たれているなどの点が、これらの疾患と合わないとされた。

8  その後も原告花子の症状に変化はなく、白木博次博士が平成五年七月七日に原告花子を診察した時の症状は次のとおりである。

同原告は、首は前屈しやや左方に向いたままで、自発運動は殆どなく、両眼はカッと見開いたままであるが、特に眼球突出といった状態ではなく、眼裂が開き過ぎるくらい開いており、眼球運動はすべての方向においてないように見えるが、そうであるかどうか疑わしい。相手の言うことはよく理解できるが、発声は殆どできない、両上肢は左右とも手関節で内側に曲がり、人差し指を除いて握り締めたような位置をとっているが、手関節は他動的に伸ばすことはかなり無理であるものの、それでも手指はある程度他動的に正常位に近くまで伸ばすことができる。肘関節はやや外側に向かって曲がりすぎの位置にあり、握力及び自動的な屈伸運動に対する筋力は案外よく保たれており、左右差もなく、諸反射もやや減弱気味であるが、まず正常範囲であり、知覚異常もなく、上肢の他動的屈伸運動に対する抵抗感も特に認められない。脊椎骨は、右側に湾曲し、特に右側胸骨の前弯が著しい。両下肢は尖足位でもなく、運動、感覚に特に異常なく諸腱反射はやや減弱するがよく保たれているし、病的反射もない。左右から支えると踵をつけたまま立つことができるが、歩かせようとしても一歩も前に出ることはできない。すべての動作がスローであり、時間がかかりすぎる。

三1  アデムの原因、症状、鑑別方法等は、証拠(〈書証番号略〉、証人石垣泰則の証言)によれば、次のとおりであると認められる。

(一) アデムは、主として発疹を呈するウイルス感染後、又はワクチン接種後に見られる脳脊髄炎であり、脱髄疾患に分類されており、脳や脊髄を散在性に急速かつ単相性におかす炎症性疾患である。原因の種類に関係なく、類似の臨床症状・病理的所見を呈し、その原因は、ウイルス感染やワクチン接種によって惹起されるアレルギー反応が重要視されており、中枢神経ミエリンの塩基性蛋白を自己抗原とする自己免疫疾患説が有力である。

(二) 臨床所見としては、神経症状は、感染やワクチン接種の七ないし一二日(或いは四ないし三〇日)後に出現することが多く、症状は、病巣部位により、脳炎型と脊髄炎型に分けられるが、末梢神経障害も見られる。神経症状は、頭痛、吐き気、嘔吐(髄膜刺激症状)、傾眠で始まることが多く、精神症状の顕著な場合が少なくない。脳炎型では、更に、痙攣、片麻痺、失語、或いは脳神経麻痺や小脳症状が加わり、意識障害も進行することがある。脊髄炎型では、対麻痺、膀胱直腸障害、感覚障害などを呈する。また視神経障害で視力障害を訴えることもある。経過は一般に単相性で、寛解、増悪をみることはないとされているが、希に再燃がみられたという報告もある。

(三) 検査所見としては、本疾患に特異的な検査成績はないが、髄液と脳波所見が重要であり、髄液では、リンパ球の軽度ないし中等度増加(一立法ミリメートル当たり一五ないし二五〇)、蛋白は正常ないし軽度増加(一デシリットル当たり三五ないし一五〇ミリグラム)を示し、γ―グロブリンの増加をみる。糖、クロールは正常、脳波は全汎性徐波を示し、四ないし六ヘルツ中心のことが多い。

(四) 鑑別診断としては、特異的な検査法がなく、先行するワクチン接種の確認が重要であり、髄液と脳波所見を参考にする。

2  次に証拠(〈書証番号略〉、証人石垣泰則の証言)によれば、錐体外路症候群は、尾状核、被殼、淡蒼球、黒質、赤核、ルイス体等の基底核を中心とする錐体外路系諸核とその経路の障害によって生ずる症状であり、基本的な症状は、筋トーヌスの変化、運動の調整障害、異常運動の出現であり、ジストニア、舞踏病、振戦などの異常運動が、錐体外路症状として注目され、これらの症状は、基底核のうちの一つの構造が障害されるために出現することがあるが、大部分は基底核相互の機能のバランスが取れなくなって生ずる場合が多く、脳炎後遺症の一つであると認められる。

3  そして、特発性ジストニアの症状、検査所見等は、証拠(〈書証番号略〉、証人白木博次の証言)によれば、次のとおりであると認められる。

(一) 特発性ジストニアは原因不明の基底核疾患であり、全体として経過が長い。臨床症状としては、妊婦、出産には異常がなく、発症までの発育は正常であり、通常五歳から一五歳前後に発症するが、発症の仕方は、通常いつのまにか発症し、比較的ゆっくりと進行する(緩徐進行性)。初期症状は、主に足関節の屈曲内反運動又は内反尖足であり、発症年齢により初発部位に差が認められており、小児型発症例では下肢初発が多く、成人発症型では上肢や躯幹、特に斜頸が多い。不随意運動や姿勢異常は病勢の進行とともに徐々に体のほかの部位に広がり、姿勢異常は起立、歩行などの体位性ストレス(postural stress)に際して明らかになり、初期には臥位に採るとほとんど消失する。上肢では、外転、回内、後方伸展位をとり、指の過屈曲、過伸展も時にみられる。頸部は後屈又は斜頸を呈し、躯幹では捻転や側彎があり、軽症時には腰椎前彎だけが目立つこともある。不随意運動としては、振戦がほぼ必発であり、これは姿勢保持や運動時に多くみられ、頻度やリズムはきわめて多彩であり、ミオクローヌス様や羽ばたき振戦様の動きがみられることがある。躯幹や四肢の大きく緩徐な捻転性のジストニア運動は症候性ジストニアではしばしばみられるが、本態性ジストニアではむしろ希である。顔はしばしばしかめ顔を呈し、眼瞼スパスムがみられることもある。言語では、時に構音障害、爆発性言語、吃音がある。随意運動時、障害部位の骨格筋が強く不随意収縮し、目的運動が妨害されるが、外見上の筋緊張亢進状態に比べると、日常動作はきわめてスムーズに可能である。

(二) 神経学的検査では深部腱反射、表在反射は正常で、病的反射はないが、不随意収縮により病的反射様の反応が出ることもあり、小脳症状、錐体路徴候はなく、知覚検査、視力、聴力も正常である。

また通常、血清銅、セルロプラスミン値を含め血液生化学的所見に異常はなく、脳波は正常である。しかし血清DβH、尿、髄液中HVAに異常が認められた報告例がある。本症には、家族内発症を有する家系のなかに、しばしば振戦や書痙等の不全型が存在する。

(三) 診断基準としては、①ジストニア運動、及びジストニア姿勢を有し、②周生期、乳幼児早期の発達は正常で、③原因となる疾患やジストニアを引き起こす薬剤の服用の既往がなく、④臨床的に知能、錐体路、小脳症状、知覚の異常がなく、⑤銅を含め検査所見に異常がないことがあげられるが、最終的には本症の診断は除外診断である。

(四) 病理については、大脳基底核を中心とする中枢神経系細胞の進行性変性を特徴とするが、病理変化は多彩である。大部分の症例では、視床腹外側核、内包前脚、視床下核、赤核、小脳歯状核に病変が認められる。文献上は、大脳皮質、線条体、淡蒼球、黒質、ルイス体、視床、オリーブ球にも変性が認められている。

四  インフルエンザワクチンの副反応について検討すると、証拠(〈書証番号略〉、証人白木博次の証言)によれば、我国においては、インフルエンザワクチンの接種年齢が三歳以上とされて以後、脳症や急死の例は激減し、また昭和四七年に不活化ワクチンであるHAワクチンに切り替えられてからインフルエンザワクチンは安全なワクチンとなったこと、尤もHAワクチンは、エーテル処理によってウイルス粒子の糖脂質の成分を可溶化して除いたものであり、したがってHAワクチンの中にはウイルスを構築している蛋白成分が含まれているから、不活化したインフルエンザワクチンの場合にも、中枢から末消にかけての神経系に脱髄炎が発展することが有り得るとの有力な見解があり、なお種痘、はしか、風疹のように神経組織を含まないワクチンによっても脱髄性疾患が生ずることがあること、なおHAワクチンは、普通ワクチンよりも抗体産出の立ち上がりが遅く、ワクチン接種後の感染防御効果は三ないし四週間後から現れると解されていることが認められる。

そして、証拠(〈書証番号略〉)によれば、インフルエンザワクチンによる副反応に関して、次のような事例が報告されていることが認められる。

1  アメリカ合衆国において、インフルエンザワクチンの接種によりギランバレー症候群が発症した例があり、その場合、ワクチン接種後の最初の四週間、就中接種後第二及び第三週に症例が集中していることが判明し、このことが一九七六年一二月一六日に国家によるインフルエンザ免疫化プログラムを中止する重要な要素になった。

2  アメリカ合衆国において、A型インフルエンザが古典的な急性脳炎を起こすことなく大脳基底核の機能に変化を与え、後脳炎性パーキンソン症候がA型インフルエンザウイルスによって起こる可能性があることが免疫学的に証明され、脳炎後パーキンソン症候の患者の多くは、パーキンソン症候の症状が出現するまでに、はっきりした急性脳炎を生じていないとの報告がなされた。

3  我が国における副反応の事例は、以下のとおりである。

(一) 昭和三七年に三〇歳の主婦がインフルエンザワクチン接種後、一週間目に発熱し、三六日目に右半身麻痺となり、静脈周囲脳炎により四六日目に死亡した。

(二) 昭和三八年一〇月三一日に一六歳五か月の女子高校生が第一回インフルエンザワクチンの接種を受けて五ないし六時間後に接種部に発赤腫脹が生じ、知覚異常が接種部位から顔面に波及した後、発熱、意識障害、痙攣、異常運動などを示し、その他特有の精神症状を示し、予防接種後脳炎が発症した。もっとも、本件は、長期の経過の後、ほとんど欠陥症状を残さず回復した。

(三) 昭和四九年一一月一八日にインフルエンザワクチンの接種を受けた四一歳の男子が、同年一二月一一日死亡したが、その原因は、インフルエンザワクチン接種後脳炎と判断された。

(四) 昭和五二年一〇月二五日にインフルエンザワクチンの接種を受けた一二歳の男子が四日後に発症し、結局第五胸髄以下の知覚脱失は不変であり、両下肢は弛緩性麻痺を呈し、表在及び深部反射はすべて消失したままであり、アデムと認定された。

(五) 昭和五三年九月一四日に開催された日本神経学会東北地方会において、一二歳の男児がHAインフルエンザワクチン接種後四日後に発症し、アデムを発症した事例が報告されている。

(六) 昭和五四年一二月一九日にインフルエンザワクチンの接種を受けた一一歳の女子が三日後に頭痛等を発症し、アデムを発症し、頸部硬直、右半身マヒ等の症状を呈した。

(七) 昭和五六年一一月三〇日にインフルエンザワクチンの接種を受けた六歳の女子が翌日発熱し、接種二九日ころより傾眠傾向、発熱が生じ、その後アデムといえる経過を繰り返している。

(八) 昭和五七年一一月一八日にインフルエンザの予防接種を受けた六歳の男子が当日に頭痛、翌日に頭痛、腹痛を訴えたが、発熱はなかった。その後次第に意識状態がドラウジネス(drowsiness)となり、嘔吐を繰り返し、その夜には意識状態は傾眠(somnolence)となり、二日後には発熱と全身性硬直性痙攣が出現した後意識状態は半昏睡(semicoma)となって、入院した。入院二日目から意識は次第に回復し、入院五日目には平熱となり、病的反射頸部硬直も消失した。右症状はインフルエンザ予防接種による脳炎と診断された。

(九) 昭和六一年一〇月三日にインフルエンザHAワクチンの接種を受けた四歳二か月の男子が同日夕方より咳、鼻水が出て、二日後に発熱、全身の緊張性、間代性痙攣が始まり、脳炎が発症した。約三か月後にお座り不能、言語不能、便尿ともに失禁状態となった。昭和六二年四月以降、急性気管支炎を繰り返し、同年一二月一二日より発熱し、昭和六三年一月四日に吸引性肺炎(Aspiration Pneumonia)で死亡した。右症例はインフルエンザHAワクチンによるものと認定された。

(一〇) 昭和六一年一〇月三〇日及び同年一一月一四日のインフルエンザワクチンの接種時に一〇歳であった女子が、第二回目の接種後一六日目にはっきりした震えが出現し、二四日目位から両下肢を引きずるようになり、三〇日目位に両目が見えなくなり、二二三日間の入院後、視力は生活に支障がない程度まで回復したが、脊髄の第四胸神経(Th4)以下のレベルの運動麻痺と感覚麻痺は殆ど改善せず、傍脊柱筋の筋力低下による側弯症も著明となった事例において、亜急性の経過であることも考慮すると、右女子の症状は炎症性血管障害をふくむ何らかの免疫学的炎症反応によるものと考えるのが妥当であるとして、インフルエンザワクチンによるものと認定された。

五  原告花子の疾患と本件予防接種との因果関係について

1  第一基準該当性について

(一) 前記のような原告花子の発症の経過及び症状、アデム及び錐体外路症候群の原因、症状等並びに証拠(〈書証番号略〉、証人石垣泰則、同白木博次の各証言)を合わせると、同原告については、次のとおり第一基準を充足するものと認められる。

(1) 遅延型アレルギーは、極大反応に達するまでにかなりの時間を要し、普通の方法で証明される液体抗体を検出しえない状態でおこる免疫学説に特異的な炎症であり、遅延型アレルギーが発症するかどうか及びいかなる大きさの免疫応答が起こるかは、抗原の種類、感作法、生体の免疫担当系細胞応答能などによって異なるが、各種ウイルスによる自然感染に際して、遅延型アレルギー型の脳脊髄白質炎や末梢神経炎(ギランバレー症候群)が起こり、したがって、それらの弱毒性ウイルスで作られた各種ワクチンによっても細菌性免疫型の自己免疫反応として、中枢神経炎また末梢神経炎が引き起こされ得る。このような遅延型アレルギーの場合、脱髄病巣の分布の局限性が潜伏期の長短に深く関与するが、通常数日から数週間の間に発病する。

(2) 原告花子は昭和五八年一一月八日に本件第一回予防接種を受けた後に感冒様症状が出現し、同年同月一八日に第二回接種を受けたところ結膜炎を頻発したが、感冒様症状と結膜炎は通常合併して出現しないものであり、インフルエンザの予防接種の直後に生じているので、これらはワクチン接種による副反応(アレルギー反応)であって、時間的近接性に鑑みると、その後、に発症した神経症状の前駆症状と解することが合理的であり、同年一二月上旬から神経症状が発症し、以後症状は亜急性に発展し、前記のように九ないし一〇か月後に症状が完成したと推測される。

(3) 原告花子が東京女子医大病院に入院中に髄液細胞数の検査結果が三分の九ないし二四であったのは、中枢神経系に炎症等の何らかの病理変化が生じたことを示し、その増加の程度が多くないのは、病理変化が局所に限定されているためであると推測される。また、抗ミエリン抗体値が上昇していたのは、大脳基底核ないしその付近における脳神経の脱髄症状を示すものである。

なお、原告花子は、本件症状の発症の際或いはその後において、発熱或いは意識障害を生じていないが、全身に炎症性の変化がなければ発熱は起きず、脳の病理変化が局在性であれば意識障害は生じないのであって、それ故、逆に発熱や意識障害を生じなくとも、大脳基底核に病理変化を起こすことがあるから、原告花子が発熱或いは意識障害を生じていないからといって、大脳基底核に病理変化を起こしていないとはいえない。

(4) そこで、原告花子の症状は、本件予防接種を原因とする遅延型アレルギーによるアデムによるものと推認されるところ、その症状は特異的で、非定型的且つ複雑であり、これを分類すると、①異常眼球運動、実際はいわゆるスロー アイ ムーブメント(slow eye movement)、②頸から上肢にかけての除脳姿勢、③下肢の筋緊張低下と姿勢反応(平衡)の極度の減弱、④下肢の腱反射の亢進に大別されるが、その内①③④は、ジストニアとは別の症状である。即ち、原告花子においては、上向性感覚路や覚醒系が完全に保たれていることで、脳幹においてフェイジック(Phasic)な運動を支配する系が選択的に障害されたと考えられる一方、この他に淡蒼球、視床、内包を含む錐体路、小脳歯状核とその遠心路、脊髄など複数の部位と系に障害が存在することが推測される。このように原告花子に発症したアデムは、責任病巣を同定できないもので、従来のアデムに例をみない特徴がある孤発例である。尤も、責任病巣を同定できないような孤発例であることを理由として、右アデムが本件予防接種の副反応であることを否定することはできないことはいうまでもない。

(5) ところで、原告花子の本件症状が完成するまで九ないし一〇か月が経過し、そのため原告の症状は進行性であるかのような誤解を生じ得るが、右のように期間が経過した原因としては、①原告花子は本件予防接種を受けた当時一二歳であったのでその脳は発育途中であったから、インフルエンザワクチンにより不可逆性損傷を受けた部位はそのままの欠陥状態に留まるけれども、損傷を受けなかった領域の成熟性は順調に進み、ただその速度は、同原告の年齢に照らすと緩やかであるから、このような不調和の結果である可能性があり、若しくは、②病理変化が局在しており、これに対する治療がなされなかったため、病理変化が延遷した可能性がある。したがって、症状の完成までに右のような期間を経過したことを理由として、同原告の症状が本件予防接種の副反応であることを否定することはできない。

(6) なお、原告花子は、東京女子医大病院においてアレルギー反応に対する治療法である血漿交換療法等を受けたが、これによっては症状は改善されなかったところ、その原因としては、右治療法が適用された段階では、既に同原告の症状の原因が固定していた可能性があるから、右血漿交換療法等が有効でなかったことを根拠に同原告が遅延型アレルギーでないということはできない。

(二) ところで、前記のようにHAワクチンは安全性が高まったワクチンであり、また証拠(〈書証番号略〉、証人前川喜平の証言)によれば、インフルエンザワクチン接種後の副反応は通常二四時間、遅くとも七二時間以内に発症し、またHAワクチンは不活化ワクチンであり、不活化ワクチンにより二次性脳炎を発症した例はなく、HAワクチンは毎年一〇〇万人以上の人々に接種されているが、原告花子と同様或いは類似の症状、経過を示した例はないというのであるが、前記のようにHAワクチンの中にはウイルスを構築している蛋白成分が含まれているから、同ワクチンの場合にも中枢から末梢にかけての神経系に脱髄炎が発展することが有り得るとの有力な見解があり、我が国におけるインフルエンザワクチンの副反応の例中には、HAインフルエンザワクチンを接種した四日後(五3(四)及び(五))、約二九日後(同(七))、一六日後(同(一〇))にそれぞれ副反応が発症した例があるから、原告花子の場合において本件予防接種後前駆症状が発症し、神経症状の徴候が生じるまでの期間が七二時間を超えているからといって、これのみによって同原告の症状とインフルエンザワクチンとの因果関係を否定することはできない。また、HAインフルエンザワクチンの副反応として、脳炎(前記五3(三)、(八)及び(九))、アデム(同(四)ないし(七))、運動麻痺と感覚麻痺並びに側弯症(同(一〇))を発症した例があることは前記のとおりであるから、原告花子の本件症状がインフルエンザワクチンの副反応としておよそあり得ないものということはできない。

2  第二基準該当性について

前記のように原告花子は昭和五八年一一月八日に第一回の本件予防接種を受けた後、その副反応の前駆症状として感冒様症状が出現し、同年同月一八日に第二回接種を受けたころ同じく前駆症状として結膜炎を頻発し、同年一二月上旬から神経症状が発症したもので、右発症の期間は、遅延型アレルギーとして不合理でないのであるから、原告花子の本件症状は、本件予防接種から合理的時期に発症したものということができる。

3  第三基準該当性について

原告花子の症状の原因については、本訴における争点である症候性ジストニアであるか、それとも特発性ジストニアであるかは扠置き、その他の原因は前記のとおり否定される。

そこで、原告花子の症状の原因が特発性ジストニアであるかどうかを検討すると、以下のとおり特発性ジストニアと認めることはできない。

(一) 同原告の症状のうち、異常眼球運動(実際はいわゆるスロー アイ ムーブメント(slow eye movement))、下肢の筋緊張低下と姿勢反応(平衡)の極度の減弱、下肢の腱反封の亢進は、ジストニアとは別の症状であり、したがって、特発性ジストニアの症状とは一致しない。

(二) 特発性ジストニアにおいては振戦がほぼ必発であるが、原告花子には振戦は認められない。

(三) 特発性ジストニアは通常いつのまにか発症し、比較的ゆっくりと進行する(緩徐進行性)ところ、原告花子には出生以来ジストニアの発症に前駆するような病態はなく、その発症の仕方も、本件予防接種から程ない昭和五八年一二月上旬に症状が明白になって以後症状は亜急性に進行し、まさに突然人が変わってしまったといい得るものであり、そして同原告の症状は、発症後九ないし一〇か月で完成しているから変性疾患とはいえない。

(四) 証拠(〈書証番号略〉)によれば、原告花子の叔母に振戦、母親に書痙があるかのようであるが、証拠(証人甲野春子の証言)によれば、原告花子の叔母ではなく、春子の叔母に五〇歳を過ぎてから首が少し震えていた者がいたが、日ごろ癇が強い人の所作のようであって少し経つと消失し、母親の書痙も、同女が三八ないし三九歳ころに就職して経理の仕事をしていたころ、多忙であった時に疲労から一時的に手が震えたことがあるに過ぎないと認められるので、原告花子の親族に特発性ジストニアの不全型の者が存するということはできない。

4  以上のとおり、原告花子の本件症状は、本件予防接種との因果関係を判断すべき要件をすべて充たすものであり、〈書証番号略〉及び証人前川喜平の証言中、右認定に反する各部分は採用することができない。

したがって、厚生大臣が原告花子の本件症状と本件予防接種との間の因果関係の認定を拒んだことは違法であり、引いて右厚生大臣の違法な判断に基づく本件各不支給決定も違法というべきである。

六  よって、原告らの本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大喜多啓光 裁判官髙橋祥子 裁判官中川正充)

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